「来月で辞めます」から始まった引き継ぎ地獄

Web制作の仕事をしていて、地味に一番慌てるのが同僚の急な退職だ。今回は、複数のクライアントを抱えているディレクター職の同僚が、家庭の事情で1ヶ月後に退職することになった。担当していたクライアントは5社。それぞれ進行中の案件、過去のトラブル対応の経緯、ちょっとしたNGワード(この担当者にはこの言い方をしてはいけない、といった暗黙の了解)まで、頭の中にしか無い情報がぎっしり詰まっていた。

**引き継ぎ資料を作る時間は実質1週間しか取れず、本人も通常業務をこなしながらの作業だったので、「ゼロから丁寧に書く」余裕はどこにも無かった。**このままだと当たり障りのない箇条書きが数行できて終わり、という嫌な予感がした。

引き継ぎ資料が薄いと、後で困るのは新しい担当者じゃなくて、結局クライアントなんだよな。だから今回は「本人の負担を増やさずに、資料の質だけ上げる」やり方を探すことにした。

そこで、退職する同僚が書き出した「素材」をChatGPTに渡して、資料として整形するところから手を借りることにした。

ChatGPTに引き継ぎ資料の下書きを任せてみた

使った手順

  1. 退職する本人に、担当クライアントごとに「担当URL・直近のやり取りの要点・ツールのログイン情報の保管場所・過去のトラブル対応履歴」を思いつく順に箇条書きで書き出してもらう(この一次情報の洗い出しだけは本人にしかできない)
  2. その箇条書きをChatGPTに読み込ませ、「新しく担当を引き継ぐ人が最初の1週間で困らないための資料」というテーマで、案件ごとに「①基本情報 ②今すぐ確認すべきこと ③過去のトラブルと対応 ④要注意ポイント」の4項目に再構成させる
  3. 案件によって書き出しの粒度がバラバラだった(ある案件は詳細、別の案件は一行)ため、情報が薄い項目には「※ここは情報が不足しています。追記してください」という注記を自動で入れさせる
  4. 完成した資料をクライアントごとにMarkdown化し、社内Wikiにそのまま貼れる形式に整えさせる

プロンプトはこんな形にした。

あなたはWeb制作会社のプロジェクトマネージャーです。
以下は退職予定の担当者が書き出した、
クライアントごとの引き継ぎメモです(箇条書き、粒度は不揃い)。

【やってほしいこと】
1. 案件ごとに次の4項目で再構成する
   ①基本情報 ②今すぐ確認すべきこと
   ③過去のトラブルと対応 ④要注意ポイント
2. 情報が薄く、後任者が困りそうな項目には
   「※情報不足。追記してください」と注記する
3. 社内Wikiにそのまま貼れるMarkdown形式で出力する

【引き継ぎメモ】
(ここに箇条書きを貼り付け)

数時間で全5社分の「骨格」が完成した

**箇条書きを渡してから数時間で、5社分の引き継ぎ資料が同じフォーマットで整い、情報が薄い箇所には注記付きで返ってきた。**特に助かったのは、本人が「書いたつもり」で実際には抜けていた項目を機械的にあぶり出してくれたことだ。5社のうち2社は「過去のトラブルと対応」がほぼ空欄で返ってきて、本人に確認したところ「大きなトラブルが無かった案件だから書くことが無かった」というより「印象に残るトラブルが無さすぎて、逆に何を書けばいいか分からなかった」という理由だった。この「空欄の可視化」がなければ、資料が薄いことにすら誰も気づかなかったと思う。

でも「クライアントとの温度感」だけは言葉にできなかった

資料の骨格が整ったところで、実際に後任者へ資料を渡して1件同席してみた。そこで分かったのは、資料上「④要注意ポイント」が特に書かれていなかったクライアントが、実は一番気を遣う必要がある相手だったということだ。

**そのクライアントの担当者は、メールの文面自体はいつも丁寧で穏やかなのに、返信が3日以上空くと機嫌が悪くなる、というタイプだった。**退職する同僚はこれを「感覚」として把握していたが、箇条書きにする段階で「特にトラブルは無い」としか書いておらず、ChatGPTもその一文だけからは「返信速度に敏感な人」という情報を引き出せなかった。結果的に、後任者が最初の週にこのクライアントへの返信を2日置いてしまい、少し空気が悪くなる場面があった。

これは当然といえば当然で、ChatGPTは書き出された文字情報しか読んでおらず、「本人の頭の中にはあるが、まだ文字になっていない暗黙知」までは引き出せない。箇条書きの整形や情報不足の指摘まではAIの仕事だが、「そもそも何が暗黙知として抜け落ちているか」に気づくのは、結局人間が実際にクライアントとやり取りしてみるまで分からなかった。

「特にトラブルは無い」という一文が一番危ない。トラブルが無いんじゃなくて、トラブルになる前の「機嫌の機微」に本人が無意識に対応していただけ、というケースが今回で言うとまさにそれだった。

この一件があってから、資料の「④要注意ポイント」が空欄の案件については、退職前に必ず後任者と一緒に1回オンライン打ち合わせに同席してもらい、本人の口から直接補足してもらう運用に変えた。文字にできない部分は、文字にしようとするのではなく、同席という形で引き継ぐしかないという結論だ。

パターン別、退職者の引き継ぎ資料作成でAIに任せていい部分・いけない部分

  • 箇条書きメモの4項目への再構成 → 任せて良い。フォーマットの統一は機械的な作業で、人がやると地味に時間を食う
  • 情報が薄い項目の自動検出 → 任せて良い。「本人が書いたつもり」の抜け漏れを機械的にあぶり出してくれる
  • 社内Wiki用のMarkdown整形 → 任せて良い。コピペで貼れる形にする作業に人の判断は不要
  • 「特にトラブルは無い」の裏にある暗黙知の掘り起こし → 自分でやる。本人に直接ヒアリングするか、同席させるしかない
  • クライアントごとの「気を遣うべきポイント」の見極め → 自分でやる。文字にする前の感覚的な対応を、後から言語化するのは難しい
  • 後任者が実際に困った時のフォロー体制 → 自分で用意する。資料が完璧でも、最初の数週間は退職者に確認できる連絡手段を残しておくべき

実際にやってみて分かった、ChatGPT活用の得意・不得意

ChatGPTに任せて良かった部分

  • 粒度がバラバラな箇条書きメモを、案件ごとに同じフォーマットへ数時間で再構成してくれること
  • 「本人が書いたつもり」で抜けていた項目を、注記付きで機械的に指摘してくれること
  • 社内Wikiにそのまま貼れる形式への整形を任せられること

自分でやるしかなかった部分

  • 「特にトラブルは無い」という一文の裏に隠れている、文字になっていない暗黙知に気づくこと
  • クライアントごとの「気を遣うべきタイミング・言い回し」を、退職前に直接ヒアリングすること
  • 資料が空欄だった案件について、後任者と退職者を実際に同席させる場を設定すること

まとめ

  • 退職者の引き継ぎ資料は、本人が書き出した箇条書きメモをChatGPTに「基本情報/今すぐ確認すべきこと/過去のトラブルと対応/要注意ポイント」の4項目で再構成させると、数時間でフォーマットの整った骨格ができる
  • ChatGPTに情報が薄い項目を自動検出させると、「本人が書いたつもり」の抜け漏れが可視化される
  • ただし「特にトラブルは無い」と書かれた項目こそ、実は文字になっていない暗黙知が隠れている危険信号。空欄・薄い記述の案件は退職前に後任者と同席させ、本人の口から直接補足してもらう運用にするのが安全
  • 資料が完璧に見えても、最初の数週間は退職者に確認できる連絡手段を残しておくと、後任者もクライアントも安心できる
  • 次は、この「同席で暗黙知を引き出す」プロセス自体も、事前にChatGPTへ「何を質問すれば暗黙知が出てきやすいか」のヒアリング項目を考えさせられないか試してみたい